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9月18日 空を見上げる秋

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台風が過ぎ去って、秋を連れてきました。昨日、今日と、湿度の少ない爽やかな気候。空がきれいです。吸い込まれるような澄んだ青空です。

晴れた日の夕暮れの空も格別!見慣れた景色がその時ばかりは赤く染まって、別の世界に変わってしまうかのよう。ほんの数分の間に繰り広げられる幻想的なイリュージョンです。

昨日も18時前頃には茜空が広がり、薄紅の水彩絵の具でさっと描いたような雲が連なっていて。わざわざ立ち止まって空を見上げている人を街で何人も見かけて、なんだかほっこり嬉しくなりました。空の移ろいは、人間の私利私欲と全く無関係ですから。

その時間、逗子駅近くにいた私は、もっと広い空を見ようと海岸へ向かったのですが、やっぱり10分遅いだけで、もう空は別の顔。だいぶ暗く青みがかっていましたが、遠くに富士山のシルエットがくっきりと。海の家も撤去されて日常を取り戻した海岸で、犬の散歩中の人や親子連れ、カメラを提げた老人などなどがそれぞれの時間を静かに楽しんでいるようでした。

夕暮れ時は特に、地球は回っているんだなぁと改めて感じます。昼間はなかなか意識しないけれど、夕陽がみるみる沈んでいく様子を見ていると、地球って宇宙って、、なんてことを思います。

明日は中秋の名月です。旧暦の秋(7月から9月)の真ん中、8月15日が中秋。澄んだ空に輝く月を静かに眺めたい。中秋は日にちで決まっているから月は満月とは限らないのですが、今年は満月です。今年を逃すと、「満月」の中秋の名月は8年後まで見られないそうですよ。

9月6日 自然であること

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最近「芸術ウソつかない」という本を読みました。横尾忠則さんの対談集です。古本屋さんでふと目に付いたので購入しました。もう10年以上前に出された本だから、話の内容も今の状況に置き換えたら変わってしまったこともあるのでしょうが、面白かったのは、心より身体(肉体)を優先して行動する、とか、自我や自意識を断ち切って「個人」ではなく「個」になる、とか、そんな話。その観点からの民藝や用の美についての考え方も興味深かったです。

身体に正直に生きたらラクなような気もするし、それが自然なのかもしれません。今の世の中でそれをやり通すのはなかなか難しいことですが。でもできる限り身体の声に耳を傾け、五感を敏感に働かせていたいと思います。
民藝で言うならば、その物との関わり(作ったり使ったりという行為)の中で、あぁでもないこぅでもないと工夫され、自然と淘汰されて生まれた形はやはり普遍的に美しいと思います。話は飛ぶかもしれませんが、自然界の生物の色や形を美しいと感じるのも、そんなことなのかなとも思ったり。無理にごちゃごちゃいじくって余計な小細工をするのは不健康で醜く、自然の摂理に身を任せているのが結局のところ最も美しいのかもしれません。

肩肘はって突出しようとしなくても自ずと輝いている、そういう人って「個人」でなくて「個」の人のような気がします。むやみに自我を押し出そうとせず、全体の大きな流れに乗って、軽やかで柔らかで自由自在。
私は、怒って感情的になったり、ノスタルジックに感傷的になったり、ついつい自分!が前面に出てしまうことが多いけれど、自分は自然界のパズルの1ピースだと思えばふっとラクになれます。ただ、その域に達するのはなかなか難しいですけれど。

実は先日、大阪で太陽の塔を眺めていた時に、近くの木に1羽のカラスがとまってカァと鳴いたんです。岡本太郎はカラスが好きだったから、あぁーーなんて感傷的に見ていたのですが、その瞬間そのカラスが目の前で糞をぼとっと。それで夢から覚めたように我にかえって、感傷的になっていた自分がばからしくなって。ついつい、何かあると変に意味付けしたり、自分を投影したりして、物事を窮屈にしてしまいがちですが、もっともっと自然で自由な状態でいたいなと思います。その方がきっと、身体にもいいはずです。

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