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5月12日 繋ぐ、という役割

布とワタ.jpg
最近、畑を借りまして、今はまだ土を作っている段階なのですが、主に棉を栽培する予定でいます。

今まではプランターで育てていた棉。身近に置いて観察したいというのもあったし、棉を育てるということを(手紡ぎの布をつくる上での)お守り的なイメージでとらえていた部分もありました。
もちろん収穫量は少ないので、紡ぐワタは布団屋さんから購入しています。それが結構な量でして、、だったら少しでも足しになるよういっそ自分でも育ててみよう、畑を始めた理由はそんなところです。

正直なところ、棉の栽培は、専門知識や経験のある方にお任せして、私は布づくりに専念しようとずっと思っていました。紡いで染めて織るだけでもかなりの時間をとられてしまうし、他に意識を向けることで色々とおろそかになってしまうような気がして。

ただ最近、もっともっと繋がなきゃ、って思うのです。
何と何を繋ぐのか?
『植物である棉やそれを育て残していこうとしている人たち』と、『製品となった布を使ってくださる皆さんやそれを取り扱うお店の人たち』を、です。

使い手の方々は、コットンという素材のことを意識するにしても、棉という植物のことを思い浮かべるでしょうか。種から芽を出し花を咲かせ蒴果がはじけてあのふわふわが出てくる、初夏から初冬にかけての棉のサイクルを、布を手にして思い浮かべる方はほとんどいないと思います。色形デザイン、価格、扱い易さ、、そのもの自体の完成度がポイントなはずです。
それを取り扱うお店の方々も、お店独自のポリシー、使い手さんの嗜好など、考慮することはたくさんあって、ひとつひとつの製品の背景を丁寧に理解するのは大変なことだと思います。

一方、棉の生産者の方々は、状態の良いワタがたくさん収穫できることに尽力していながらも、それが製品となってどんな人の生活をどんな風に彩っているのかまではなかなか意識はしないと思います。

本来どちらも密接に関わっているはずのものが、ぷっつり途切れている気がして。
私はワタを布に変換する者として、もっとそれぞれを緊密に繋ぐことはできないかと思うのです。
私にとって、素材を提供してくださる方々も、つくったものを使ってくださる方々も、どちらも大切だから。

私は使い手でもあるので、使い手側の気持ちはわかります。なので栽培する側にも足を踏み入れてみようと思いました。小さな畑ではありますが、プランターではわからないこともいろいろ見えてくるかと。また、私自身の中でも「棉という植物→布づくり→使うこと」という繋がりの意識が実感として高まるのではないかと。

実際のところ、手紡ぎの、手織りの、といった素朴感を強く押し出した布づくりは容易です。そういった布は植物の棉を意識させます。ただそれがたくさん物が溢れる中でも魅力的にうつるのか、今後につながる発展的で持続的なものなのか。海外から輸入されるものにはそういう素朴な風合いの手仕事のもの(しかも安い)がたくさんありますし。

結局はそのもの自体の自立性が求められるのではないでしょうか。それ自体が魅力的であること。そのことでそこに隠されたストーリーも輝きを増してくるはず。
棉の生産者、使い手さん、お互いの気持ちに寄り添ってつくろう。双方が密接に繋がるような、各々が喜ぶものをつくりたい。
棉と関わり棉を知る。そして、こんなものが欲しい、という気持ちを研ぎ澄ませ形に落とし込んで行く。

もちろんとっても難しいことで。どちらかに偏った方がラクだし、先が見えやすいと思います。
「大事なことは、たいてい面倒くさい。」以前そんなことを宮崎駿さんが言っていました。
繋ぐ、のはきっと大事なことのはず。
糸へんの「綿」でなく木へんの「棉」。「棉の布」への思い、をますます強くしています。

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